桜と錨の海軍砲術学校新談話室
平壌(へいじょう)飛行場 - 寺嶋誠也
2023/11/26 (Sun) 10:29:40
北海道の寺嶋(59歳・男性)と申します。
現在、先の大戦中の平壌(へいじょう)飛行場の事を調べております。
昔の地図のを調べたり聞き取ったりしていたのですが、なかなか分からなかったです。
ところが、このHPの「朝鮮半島の旧陸海軍航空基地」を拝見したところ、すべての疑問が解決しました。
今後、私の資料をまとめる時、(引用を明記した上で)掲載してもよろしいでしょうか?
個人的な資料(販売では無いです)となる予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。
Re: 平壌(へいじょう)飛行場 - 桜と錨
2023/11/26 (Sun) 12:52:18
寺嶋誠也 さん、初めまして。
私は旧陸軍関係はやっておりませんので、当該サイト記事でも旧陸軍の航空基地は画像4枚だけにしております。 これで宜しければどうぞお使いください。
Re: 平壌(へいじょう)飛行場 - 寺嶋誠也
2023/11/26 (Sun) 13:39:43
どうもありがとうございました。
私の亡き父が平壌飛行場で訓練したことが分かり、最近調べています。
父の残したメモに符合します。
(以下メモです。すいません少し長いです)
私達が訓練する平壌飛行場は平壌の市街の北西に位置していて、飛行場の南、および北は大同江であり、南洲の南は戦史に名高い牡丹(ぼたん)台であり、北の大同江の中州になっている処が爆撃訓練場であり、中央に10米の円形にコンクリートで堅められて中心点に旗サオが立っている。
(中略)
飛行場の滑走路は北西に幅50m長さ1,000mのコンクリートが一本で、その滑走路を利用して私達は飛行訓練を行っていたので、時折、満航、中華航の旅客機が離着陸してた。特に、ATダグラス等で、また戦隊、重爆、双軽、司偵、双襲、隼、等その頃稼働している飛行機の総ての機は着陸していた。それ故、我々が訓練の間の楽しみの一つであった。
飛行場の南は日清戦争の戦史で有名な牡丹台である。
北は航空灯台のあるガミ山で、北に離陸する場合は良い目標であった。(羅針方位N10°)
(メモ終了)
平壌飛行場の大変貴重な資料をHPにて教えていただき、どうもありがとうございました。
Re: 平壌(へいじょう)飛行場 - 寺嶋誠也
2023/11/26 (Sun) 13:48:34
すいません。
続けて、飛行場の情報提供ですが、南鮮地区に、
潭陽(たんよう)飛行場があり、牧草地を転圧しただけの秘密(秘匿)飛行場だったようです。
昭和20年7月末以降、父の所属していた部隊・と号(振武)247隊、6機だけ配置です。
対馬海峡に敵機動部隊が現れたら出撃する予定だったと聞きました。出撃する機会が無いまま、終戦を迎えました。(というわけで、現在の私がいます)
この潭陽飛行場の位置を探していますが、情報がありません。
父のメモによると光州の北5~6kmとあります。確かに光州の北東には潭陽という場所があります。
何か情報がありましたら、ご教示お願いします。
どうぞよろしくお願いいたします。
Re: 平壌(へいじょう)飛行場 - 桜と錨
2023/11/26 (Sun) 18:49:21
寺嶋誠也さん
潭陽には陸軍の飛行場があり、終戦時には60x1500mの滑走路(転圧)が整備され、第203飛行場中隊、第168独立整備隊、第175野戦飛行場設定隊がいたとされていますが、どの様な航空部隊がいたのかについては不詳です。 また、米軍史料には見つかりません(呼び名が異なる?)で、正確な場所(位置)などについても判りません。
Re: 平壌(へいじょう)飛行場 - 寺嶋誠也
2023/11/26 (Sun) 21:53:23
ご返信、貴重な情報をどうもありがとうございます。
平壌(へいじょう)飛行場の情報もありがとうございました。陸軍の飛行場のことですが、詳細なことを教えてもらい感激しております。
父は亡くなってからずいぶんと経ちますが、父と同じ部隊(第13教育飛行隊、後に名称変更で第23錬成飛行隊、通称朝鮮101部隊)で訓練した方が、お元気でお話を聞く事が出来ます。
「何度かゼロ戦が着陸したのを見たことがある。頭下げて燃料を補給してもらっていた。」と聞いたことがあります。