桜と錨の海軍砲術学校新談話室
一昨日のサイトの更新 - 桜と錨
2024/04/16 (Tue) 22:09:40
一昨日4月14日 (日) のサイトの定期更新は先日お話しした昭和45年に海上自衛隊第2術科学校が出した 『第2次世界大戦における艦艇の戦闘被害』 の公開の1つのみです。
この資料は、元々のロシア語版を米国で英訳して出版したものを再度邦訳したものを、表紙以外は元のディジタル化したまま整形・ゴミ取りをしていないでPDFファイルとした暫定版です。
実は、ちょっと所要があって手許にある古い海図3枚の複製をディジタル化しようと思い立ちましたが、B0サイズよりやや大きなものです。
このため、A3スキャナーで600dpiのグレーで6~8分割してスキャンし、これを1つに合成して整形とゴミ取りをしなければなりません。
ところが、この作業が大変な手間暇を要することになりまして ・・・・
ご存じのとおり、企業用の高級品ならともかく、個人用のスキャナーでは分割スキャンして合成するとどうしても歪みや誤差が出てきます。
この歪みや誤差を修正し、その上で整形・ゴミ取りとなると。 で、この3枚の海図のディジタル化、昨日も頑張ってみたのですがまだ終わりません。
他の公開用のファイル作りを先にするべきだったかもしれませんが、手許にあるのは本来のものを薄い紙に複製したものですので、周囲が少々痛んできておりますので、ともかく今ディジタル化しておかないと、今後その機会は無いかもと思ったわけです。
う~ん、でもこんな古い海図に興味がある方などおられるのでしょうかねえ? まあ、単なる自己満足かもしれませんが (^_^)
Re: 一昨日のサイトの更新 - キャプ専クック
2024/04/23 (Tue) 22:08:54
桜と錨さん、こん○○は
「第2次世界大戦における艦艇の戦闘被害」
公開ありがとうございました。
おもしろく読ませていただいてます。図なども参考になり、まさに私が知りたかったことです。
惜しむらくは、もっと多くの艦艇について・・・
いえいえ、何百という艦が撃沈されてるのでとても無理な話ですよね(^^;)
無題 - 三郎
2024/04/22 (Mon) 19:30:53
残念な事故です。
詳細は不明ですが、海幕長記者会見の、トンチンカンな記者の質問に辟易しました。
各メディアにも、軍事に精通した人もいるでしょうに。
せめて、「リーダー機は何号機ですか?」とか、「管制艦は「はぐろ」なんですか?」とか突っ込んだ質問はできないんですかね?
ご冥福をお祈りします - 脇
2024/04/21 (Sun) 08:23:56
こんにちは
夜間に実戦的な対戦訓練を行うのであれば、せめて重複捜索海域における飛行高度だけでも厳格に指定しておかないと・・・(^_^;)です。
Re: ご冥福をお祈りします - 桜と錨
2024/04/21 (Sun) 20:48:49
脇さん、残念な出来事ですね。
今後事故の状況が明らかになっていくのでしょうが、それにしても少々 “う〜ん” ですね。
Re: ご冥福をお祈りします - キャプ専クック
2024/04/22 (Mon) 06:53:23
ごめんください
ドシロートが横から申し訳ありません。
以前の陸自幹部搭乗のヘリ墜落なども思い出すと、いざというときに少し心配になります・・・杞憂だと思いますが(-_-;)
Re: ご冥福をお祈りします - 桜と錨
2024/04/22 (Mon) 12:46:19
キャプ専クックさん
杞憂、で終われば良いのですが・・・・
今週のサイトの更新 - 桜と錨
2024/04/21 (Sun) 23:14:42
今週のサイトの更新として、『現代戦講堂』 の 『資料展示室』 コーナーにおいて、「海上自衛隊の砲術・艦砲射撃について」 と題して、その第1段として 『1.海上自衛隊の砲術・艦砲射撃の3大教範について」 の頁を開設し、まず「艦砲操法教範 (一般の部)」をお話しすると共に、昭和51年版の同教範の全文を公開 しました。
同教範についての全文の公開はネット上も含めて初めてのこととと思います。
なお、昭和51年版の「艦砲操法教範 (一般の部)」は、現在の海上自衛隊におけるものとは若干異なるかもしれませんが、それは私がお話しする立場にありませんし、“知りません”(この意味はお判りですね (^_^) )
戦前写真 - キャプ専クック
2024/04/06 (Sat) 15:57:53
桜と錨さん こん××は
旭日旗が翩翻とひるがえっているこの建物は、名称はわかりませんが青島における軍法會議職員の宿舎だそうです。
実際、この建物の玄関を背景にして撮った写真も何枚かあります。
なんだか瀟洒でスマートに見えますけど元は英国の建物でも接収したのでしょうか(^o^)
Re: 戦前写真 - 桜と錨
2024/04/07 (Sun) 23:07:39
キャプ専クックさん、こん**は。
まさに洋風のすばらしい建物ですね。 私もちょっと調べてみますね。
それにしても、綺麗な写真ですねえ。
老夫婦の花見 - 桜と錨
2024/04/07 (Sun) 23:03:20
どうも天候状況から今日しかないのではと、家内と一緒に老夫婦二人の花見です。
http://navgunschl.sblo.jp/article/190847354.html
いや~、今年も “日本に、日本人に生まれて良かった” と思う一日でした。
で、日中一日老夫婦で花見を楽しみましたので、サイトの今週の更新はお休みです (^_^;
今週のサイトの更新 - 桜と錨
2024/03/31 (Sun) 23:31:25
サイトの今週の更新は、「幹部候補生学校SG集」 の末尾にある防衛大学校学生時代のものでまだ表紙・目次だけだった 「船舶理論」 「運用学Ⅰ(艦船概要)」 及び 「運用学Ⅱ(停泊・錨泊)」 の3つをそれぞれ本文の全頁をディジタル化したままで整形・ゴミ取りをしていないものを入れた 「(暫定版)」 として公開しました。
既にお話してありますとおり、当時の防衛大学校の海上防衛学で使用しますのは、海上自衛隊の幹部候補生学校や術科学校などで使用する要点のみが書かれたスタディ・ガイド (SG) ではなく、テキスト、いわゆる教科書です。
かつこれらについては候補生学校で1課程、即ち防大卒の学生が習うよりははるかにレベルが高いものでした。
しがたって、私は幹部候補生学校卒業時にはSGは捨ててこれら防衛大学校で習ったテキストの方を残すことにしましたので、当該ページでご紹介するのもこの防衛大学校の海上防衛学でのものです。
当時の防衛大学校において私達海上要員は 「船舶工学」 については海上防衛学と普通学とで2回習いました。
普通学で習った 「船舶工学」 は、いわゆる学問としての学術的内容で船舶技術者向けでしたが、講義レベル的にはとても満足言うものではありませんでしたので、私は海文堂から出されていた大串雅信氏の 『理論船舶工学』(全3巻) を買い求めて、これを貪るように勉強しました。 この全3巻は今でも蔵書として保有しております。
一方で、海上防衛学で習う 「船舶理論」 や 「運用学」、あるいは 「復元性能」 などについては、いわゆる学者向け出は無く、実際に船に乗るものを対象とした実践的な内容となっていました。
今回ご紹介するこの 「船舶理論」 などは、その船乗りとしての実践的な内容であり、一般の刊行物などではほとんど語られないスタンスのものですので、お読みいただく方々にとっても珍しいものであり、かつその点からも貴重なものであるのではと思っております。
「大泊」と「中華丸」 - ruizi74
2024/03/29 (Fri) 22:00:09
はじめまして。私は軍艦には全く興味はなかったのですが、YouTubeで戦前の映像を見るのが好きで良く見ています。
今日公開された映像に砕氷艦「大泊」と「中華丸」が出てきました。「中華丸」はWikipediaにも載っていなくて何だろう?と疑問に思ってこちらにたどり着きました。航行不能になった「中華丸」を「大泊」が救援に行ったんですね。解説ありがとうございます。
その動画のYouTubeアドレスは
https://youtu.be/yfb1MEx7ye8?si=qFOAtaz5yaIu2NNi
です。大正時代の貴重な映像が1時間もあり驚きました。氷を割って進む姿は映画「タイタニック」どころではない臨場感でした。
Re: 「大泊」と「中華丸」 - 桜と錨
2024/03/31 (Sun) 21:19:40
HN「ruizi74」さん、初めまして。
当該ページをごらんいただき、また動画のご紹介をありがとうございました。
「中華丸」の記念アルバムは「大泊」関連だけとしておりますので、本来のものより写真数は少ないです。
それにしても、同時の動画が残っているのはすごいですね。
今週のサイトの更新 - 桜と錨
2024/03/24 (Sun) 22:28:37
何か気忙しく、時ばかりがどんどんと過ぎていきますが ・・・・・
結局今週の本家サイトの更新は、既に始めています「幹部候補生学校SG」の公開で表紙・目次以外はディジタル化した時のままのものでPDFファイルとし、幾つかのものを追加公開しました。
「応急」 「復元性能」 と防大海上防衛学での 「航法2(天文航法)」 「航海計器」 です。
「対潜航空機」 についてはちょっと考え中です。 当時の秘密事項が含まれているようですので ・・・・ ただこれをSGとしてそのまま学生に配布したのは学校側の片手落ちとしか言いようがありません。 50年も前のものをどうするか ・・・・
そして思うのですが、例えば天文航法などの解説を一般大学文系出の2課程の者達は理解できたんでしょうか? 理屈はともかくとして、候補生学校~遠洋航海においては、結局、六分儀で星を降ろせて、天測計算用紙で計算ができ、それを運動盤に作図して推定艦位がそれなりに出せれば、初級幹部としてはそれでOKだったのでは、と。
これは他の課目でも同じで、結局のところ候補生学校での「乗艦実習必携」や練習艦隊での「ハンドブック」の記載内容程度が“理解できていれば”十分だったのではないかと思います。 防大出も含めた一般幹部候補生・実習幹部で艦艇職域を希望する者はそれほどいなかったのですから。
2024/03/20 (Wed) 21:47:00
先週でしたが、男女合わせて70名あまりの人員で日本ツアーやってました。横須賀から京都・東京までは書いてたけど、佐世保とその他で行った情報は持ってません。
京都は同志社のライブホール。場所は烏丸今出川上がる学生支援の拠点の一角に300人は入るこじんまりなところ。同校のグリークラブとJontということで、こちらも披露ですけど男の声は案外眠りやすい。こちらは男性のみなので子守歌の合唱なら絶対寝れると確信しました。
さて米国のは単に整列してるだけでなく曲によって配置換えしていてみんな士官(になるわけでない?)になるだけの優秀ぶりを発揮してました。
江田島にこういうのがあればどっかのパパさんの美声が聞けたかな?
Re: 米国海軍士官学校Glee Club - 桜と錨
2024/03/24 (Sun) 21:34:36
JANET さん、こん**は。
何か時だけはどんどんと過ぎていきますねえ。
私達の防大・候補生学校以降は蛮声を張り上げる“隊歌”ばかりでしたので ・・・・ 防大も共学になり、文系学科もでき、昔の学生隊の良き伝統などはとうに無くなってしまいましたので、今の 「国立小原台学園」 では立派な合唱部やグリークラブができているのかもしれませんね。 当時は 「軽音楽同好会」 というのはありましたが。
2024/03/10 (Sun) 08:56:47
初めまして「かごしま未来の平和館プロジェクト」の野田です。鹿児島海軍航空基地の写真を使用させていただきたくご許可お願いします。使用目的:ブログ掲載。平和イベント時の参考資料として。むろん商用目的ではありません。貴殿サイトの明示は必須条件。出典元情報が米軍資料となっておりますが、どこに(図書館?)あったものなのか。資料番号などわかれば付記致します。後世に伝えるべき資料としての信頼性を高める必要性からです。なお、多岐にわたるなかでこの鹿児島海軍航空基地のみをピックアップするのが難しいのであれば、わかる範囲でお願い致します。
Re: 転載について - 桜と錨
2024/03/12 (Tue) 20:31:15
野田洋一郎 殿
ご要望の件、当方サイトの当該頁及びそこで掲示しております写真・図などでしたらそのままお使いいただいて結構でございます。 ついでに当方サイトの紹介もしていただけると嬉しいかなと。
当方のサイトは元々 http:// ですが、現在では https:// でもご覧いただけます。
https://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/052A-Kagoshima.html
なお、当該ページ中の写真・図で当方のロゴの無い元々の大きなサイズのものなどがご必要でしたら別途ご相談ください。
今週のサイトの更新 その2 - 桜と錨
2024/03/10 (Sun) 23:34:27
本家サイトの今週の更新の二つ目として、「現代戦講堂」 の 「資料展示室」 コーナーで既に公開してきております昭和48年度の幹部候補生学校1課程(防大卒)用SG集に、表紙・目次以外は元のディジタル化したままの整形・ゴミ取りをしていないものをPDFファイルとした 「(暫定版)」 を幾つかの課目で追加公開しました。
とてもこれまで通りに整形・ゴミ取りをしたものを作成している余裕がありませんので、“取り敢えず”として公開することに。
大変に見難いものではありますが、それでも読めない程ではない、と・・・・(^_^;
今後手が空きましたら、整形とゴミ取りをして本来あるべき姿にしていきたいとは思っていますが、いつになるか。
定年以来無職の貧乏人で日々の生活に手一杯ですので、どなたかスポンサーになっていただける方はおられませんかねえ。
今週のサイトの更新 その1 - 桜と錨
2024/03/10 (Sun) 23:05:57
本家サイトの今週の更新の一つは、旧海軍が作成したものを海上自衛隊が昭和35年になってそのまま出した 『艦船座礁事件摘録』 のご紹介です。
本史料の元々の旧海軍での作成期日は示されておりませんので不詳で、大正10年に 「三笠」 (戦艦から海防艦に種別変更された直後)が座礁事故を起こしていますので、これを機に海軍部内に対する注意喚起のためのものだったのかもしれませんが、流石に 「三笠」 の例 (名) を出すわけにはいかなかったとも考えられます。
当時の海図や測量などの精度、航海機器の状況を考えると致し方ない面もあるのでしょうが、それにしても多いですね。
昭和35年当時に艦艇長講習参考資料として200部が印刷されたことになっていますが、どこに、どの様に配布し、どの様に活用されたのかは不詳であり、また印刷・配布はこの時の1度だけと思われます。
私は2度艦艇長講習を受講しましたが、本資料については既に全く使われなかったどころか、この様な資料があることさえ出てきませんでした。 現役中にさる所でこれが1冊埋もれたままになっているのを見つけてコピーをとっておきましたが、その他のところでは全く見かけたことも話を聞いたこともありません。
う~ん、これも今となっては海上自衛隊のどこにどれだけ残っているのか・・・・ ?
これまでの海上自衛隊の姿勢からすれば、今後とも自ら公開するとはとても考えられませんので。
約240頁ですのでとても整形・ゴミ取りをする余裕がありませんので、コピをディジタル化した時のままのものをPDFファイルとしたもので良ければ、この方面に関心のある研究者の方にはご要望があればご提供したいと思っています。
まあ、先日の護衛艦 「いなづま」 の座礁事故などは、本史料に出てくる例と比べても大変にお粗末なもので、運航技量ももちろんのこと、艦の危急に際して部下から助言が得られないほどの雰囲気を作るような性格の者が艦長に補職されるのもいかがなものかと。 そして事故調査報告書に名を連ねることになった乗組幹部などは不幸なことで。
戦前写真 - キャプ専クック
2024/03/05 (Tue) 18:36:08
続きです。
看板が「大日本海軍青島方面根據地隊司令部」「第三遣支艦隊軍法會議」などとなっています。
これは組織の改編があった後のようで、調べた限りでは「北支艦隊」から「第三遣支艦隊」に変わったのは昭和14年11月15日だとか。
写真もその頃のものですかね。(今回は冬服になってます)
Re: 戦前写真 - 桜と錨
2024/03/05 (Tue) 19:48:32
キャプ専クックさん、ご紹介ありがとうございます。
いや〜、これは貴重ですねえ。 軍人の制服での記念写真はそれこそ沢山ありますが、法務官などのものは珍しいですし、しかも同じ場所での別時期のものは。
戦前写真 - キャプ専クック
2024/03/05 (Tue) 18:14:37
桜と錨さん こん××は
この写真はよくある集合写真ですが、写っている人物ではなく背後に掲げてある組織名の看板(?)に興味が・・・。
ここでは「青島海軍根據地隊司令部」と「北支艦隊軍法會議」などとあります。
そして同じ建物の前で別の集合写真があるので次回にそれを載せます。
20数年ぶり・・・ - 脇
2024/03/02 (Sat) 10:00:26
こんにちは
江田島市広報3月号よりスクリーンショット ・・・(*^_^*)です。
Re: 20数年ぶり・・・ - 桜と錨
2024/03/04 (Mon) 16:25:19
脇さん、こん**は。
US-2、牡蠣筏が余りにも多い江田内で離着水できるんでしょうかねえ?
サイトの更新 - 桜と錨
2024/03/04 (Mon) 23:59:32
家籠りですが、何か気忙しく毎日がバタバタしております。
そして昨日は桃の節句で千福の熱燗をグビグビやって早々に酔ってしまい、本家サイトの定期更新についてすっかり忘れてしまいましたので本日ご紹介を。
昭和41年に海上自衛隊が出した『日本海軍潜水艦事故摘録』のご紹介です。
旧海軍では戦闘に伴う戦没や損傷以外に、衝突や座礁などにより多数の潜水艦の事故を起こしております。 有名な明治43年の第6潜水艇の沈没に始まり昭和16年の伊66潜の損傷に至るまでの概要を、昭和41年になって海上自衛隊が残された旧海軍の史料に基づき事故態様別に約370ページに纏めたものです。
作成・発行は当時の第1潜水隊群で、群司令はかの有名な海兵63期の筑土龍男氏でした。 本史料の作成・発行については当筑土氏本人の強い意向によるものと考えられます。
私の現役中、たまたま某所に眠ったままになっていたものを見つけてコピーをとりましたが、この一つだけで他のものは見たことがありませんでしたし、またこの様なものがあることさえも聞いたことがありませんでした。
う~ん、これも今となっては海上自衛隊のどこにどれだけ残っているのか ・・・・ ?
なお、大変にページ数が多いためとても整形・ゴミ取りをする余裕がありませんので、ディジタル化した時のままのものをPDFファイルとしたもので良ければ、この方面に関心のある研究者の方にはご要望があればご提供したいと思っています。
なお、facebook の某所で大正13年に佐世保港外で演習中に軽巡「龍田」と衝突して沈没した第43潜水艦の話題が出ましたので、本史料の中からその事故の概要(5頁)について抜き出して整形・ゴミ取りをしたものをFPDファイルにして参考提示しましたので、このPDFファイルについても今回一緒に公開いたしました。
それにしても、ご来訪80万名達成感謝記念企画の第2段に予定しておりますものは遅々として進んでおりません。 この第2段を項目分けして、出来た順に公開することも考えても良いかと。
なにしろ、やりたいこと、やらなければならないことは大変沢山ありますので ・・・・
2024/03/02 (Sat) 21:07:58
こんな犬のところに小春ちゃん持参しても追いかけられそうで実家で居候しそうな?時代が違ってた地方総監の陽の当たる公室で「ミヤァ~」と啼いてかと、どうせ副官さんがお世話でしょうけど総監が「ねこじゃらし」持つ姿を見たいと、先月揚陸艦「アメリカ」が昨年に続いて大阪湾入港でした。でもF35Bは今年積んでないので行くのは却下。USJ楽しみたいとは艦長の弁。もはやアニメのテーマパークみたいな所になったけどそれがいいのかな?
Re: デコピン - 桜と錨
2024/03/04 (Mon) 16:21:16
JANET さん、こん**は。
私はどうもこういう席は好きになれないもので ・・・・
米海軍は派遣が長いので色々楽しみたいのでしょうね。
昔SQTで西海岸に行ったとき、ある日デズニーランドを一晩借り切って「ネービー・ナイト」がありました。確か一人10ドルだったかと。流石は米海軍と思いましたね。
トルコ海軍の… - 劔
2024/02/20 (Tue) 21:25:47
こんにちは。
ブログでのトルコ海軍の揚陸艦「アナドル」の記事を先程拝読いたしました。そういえば2番艦の話聞かないなぁと思って調べていたのですが、先日トルコ海軍の将来の空母についての記事を発見しました。(ご存じであればご容赦ください)
ttps://www.navalnews.com/naval-news/2024/02/our-first-look-at-the-turkish-navys-future-aircraft-carrier/
もしかして2番艦よりこっちに注力するのかなと思いました。
Re: トルコ海軍の… - 桜と錨
2024/03/04 (Mon) 16:13:06
劔さん
トルコを取り巻く政治情勢を含めた地政学上からすると、ボスポラス海峡の問題も含め、黒海側と多島海側にそれぞれ常時1隻を配備したいところでしょうが、偏に国防費の制約ですね。
今週のサイトの更新 - 桜と錨
2024/02/12 (Mon) 00:49:14
「阪神・淡路大震災に伴う災害派遣詳報」 全文公開 !
今週のサイトの更新は、ご来訪80万名達成を記念して、その感謝企画第1段の平成7年に呉地方総監が出した 「阪神・淡路大震災に伴う災害派遣詳報」(呉監防3第872号別冊)の全文を公開しました。
https://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/Shiryo/22_Hanshin-Awaji_JMSDF_Detail-Rep_H07.html
この阪神・淡路大震災に伴う海上自衛隊の災害派遣の具体的な詳細については、いまだに海上自衛隊、と言うよりは海上幕僚監部からは、本文書も含めて何ら公開されたものはなく、ただ 「海上自衛隊50年史」 の中で僅かに災害派遣を行ったことが簡単に記されているだけです。
https://navgunschl.sakura.ne.jp/omoi/hanshin-awaji/50yr_06_04_03.html
国民の生命、財産を守るために国民の税金を使っているにも関わらず、あの阪神・淡路大震災に伴う災害派遣で海上自衛隊は何をしたのかについてその詳細を全く説明してきておりません。 その説明責任を認識せず、かつ義務を放置してきたと言えるでしょう。
そして、海上幕僚監部の体質、その“制服を着た能吏”たる業務遂行ぶりからすると、今後ともこれが改善され、本文書に述べられたような具体的かつ詳細なものが公開されるとはとても考えられません。
私は1月17日の発災後から海上幕僚監部に転出する3月23日まで呉地方総監部防衛部第3幕僚室長として、そして呉地方総監加藤武彦海将を指揮官とする海上自衛隊災害派遣部隊司令部作戦幕僚として勤務しました。 派遣部隊司令部が呉地方総監部に戻った後に一人阪神基地隊に残った私が神戸市長からの神戸市に対する大規模給水支援の終了証明を持って阪神基地隊から呉地方総監部に戻った私を待っていたのが海上幕僚監部への転勤でしたので、転出までの僅かな間に本資料の下書きを書けるだけ書いて置きましたが、ほとんどそれに沿って纏められ、かつ諸データが追加されて立派なものに仕上がっていると思います。
本資料の公開は、当時の海上自衛隊災害派遣部隊の司令部作戦幕僚としてその 災害派遣活動の全容を明らかにするとともに、災害派遣に参加した全隊員に対してその労をねぎらうためのもの です。
そして もう一つは、災害派遣終了後に病死した故中村将君に捧げるためのもの です。 中村君は私と候校同期で、呉監部防衛部第2幕僚室長として1年間一緒に勤務し、そして阪神・淡路大震災に伴う災害派遣では司令部の情報幕僚として大活躍をしてくれました。 それは本資料をお読みいただければ、彼の活躍があってこそ作戦幕僚としての業務が上手く行き、海自災害派遣部隊の活動、特に神戸市に対する給水支援が適切に実施できたと言えます。
しかしながら、彼は災害派遣終了直後に体調を崩して入院し、あっという間に逝去してしまいました。 これが災害派遣での激務によるストレスの積み重ねがその引金となったことは火を見るよりも明らかですが、何故か海上幕僚監部はそれを認めようとしませんでした。 私達からすれば、間違いのない災害派遣の激務に伴う “殉職者” なのですが。
この2つが、今回サイトにおいて私が本文書を公開する目的です。
元資料を 一つのPDF形式にてその全てを公開 いたしますが、残念ながらご存じのとおりのネット事情により印刷及び加工については不可の設定としております。 全文をそのまま公開するのは本来海上幕僚監部の責任でであり国民に対する義務すので、私がそれを肩代わりするつもりはありません。 もし研究者の方で印刷可能バージョンなどのご希望がございましたら掲示板又はメールなどでお聞かせ下されば考慮いたします。
勿論、公開いたしますファイルは、このままの形でしたら再配布などはご自由になされて結構です。
なお、平成12年になって海上幕僚監部の教育課から「参考事例集(第2刊:阪神、淡路大震災特集 『阪神、淡路大震災出動』」なるものが出されましたが、その中の証言者では加藤呉総監、仲摩阪神基地隊司令、それに当の海自災害派遣部隊司令部幕僚長としての川村呉監防衛部長の3者はともかくとして、その他の人選は海幕教育課が適当に選定したものです。
そしてその上で、「指導上のねらい」などと笑止千万、チャンチャラおかしなことを上から目線で述べています。 当時、海幕教育課員などただの一人も現場に来て災害派遣の実態を見てもいないのに、です。
“制服を着た能吏”のやることというのはこんなもの、という典型の一つですね。 口先ばかり立派で点数稼ぎをやる、という。