桜と錨の海軍砲術学校新談話室
今週のサイトの更新 - 桜と錨
2024/03/24 (Sun) 22:28:37
何か気忙しく、時ばかりがどんどんと過ぎていきますが ・・・・・
結局今週の本家サイトの更新は、既に始めています「幹部候補生学校SG」の公開で表紙・目次以外はディジタル化した時のままのものでPDFファイルとし、幾つかのものを追加公開しました。
「応急」 「復元性能」 と防大海上防衛学での 「航法2(天文航法)」 「航海計器」 です。
「対潜航空機」 についてはちょっと考え中です。 当時の秘密事項が含まれているようですので ・・・・ ただこれをSGとしてそのまま学生に配布したのは学校側の片手落ちとしか言いようがありません。 50年も前のものをどうするか ・・・・
そして思うのですが、例えば天文航法などの解説を一般大学文系出の2課程の者達は理解できたんでしょうか? 理屈はともかくとして、候補生学校~遠洋航海においては、結局、六分儀で星を降ろせて、天測計算用紙で計算ができ、それを運動盤に作図して推定艦位がそれなりに出せれば、初級幹部としてはそれでOKだったのでは、と。
これは他の課目でも同じで、結局のところ候補生学校での「乗艦実習必携」や練習艦隊での「ハンドブック」の記載内容程度が“理解できていれば”十分だったのではないかと思います。 防大出も含めた一般幹部候補生・実習幹部で艦艇職域を希望する者はそれほどいなかったのですから。
2024/03/20 (Wed) 21:47:00
先週でしたが、男女合わせて70名あまりの人員で日本ツアーやってました。横須賀から京都・東京までは書いてたけど、佐世保とその他で行った情報は持ってません。
京都は同志社のライブホール。場所は烏丸今出川上がる学生支援の拠点の一角に300人は入るこじんまりなところ。同校のグリークラブとJontということで、こちらも披露ですけど男の声は案外眠りやすい。こちらは男性のみなので子守歌の合唱なら絶対寝れると確信しました。
さて米国のは単に整列してるだけでなく曲によって配置換えしていてみんな士官(になるわけでない?)になるだけの優秀ぶりを発揮してました。
江田島にこういうのがあればどっかのパパさんの美声が聞けたかな?
Re: 米国海軍士官学校Glee Club - 桜と錨
2024/03/24 (Sun) 21:34:36
JANET さん、こん**は。
何か時だけはどんどんと過ぎていきますねえ。
私達の防大・候補生学校以降は蛮声を張り上げる“隊歌”ばかりでしたので ・・・・ 防大も共学になり、文系学科もでき、昔の学生隊の良き伝統などはとうに無くなってしまいましたので、今の 「国立小原台学園」 では立派な合唱部やグリークラブができているのかもしれませんね。 当時は 「軽音楽同好会」 というのはありましたが。
2024/03/10 (Sun) 08:56:47
初めまして「かごしま未来の平和館プロジェクト」の野田です。鹿児島海軍航空基地の写真を使用させていただきたくご許可お願いします。使用目的:ブログ掲載。平和イベント時の参考資料として。むろん商用目的ではありません。貴殿サイトの明示は必須条件。出典元情報が米軍資料となっておりますが、どこに(図書館?)あったものなのか。資料番号などわかれば付記致します。後世に伝えるべき資料としての信頼性を高める必要性からです。なお、多岐にわたるなかでこの鹿児島海軍航空基地のみをピックアップするのが難しいのであれば、わかる範囲でお願い致します。
Re: 転載について - 桜と錨
2024/03/12 (Tue) 20:31:15
野田洋一郎 殿
ご要望の件、当方サイトの当該頁及びそこで掲示しております写真・図などでしたらそのままお使いいただいて結構でございます。 ついでに当方サイトの紹介もしていただけると嬉しいかなと。
当方のサイトは元々 http:// ですが、現在では https:// でもご覧いただけます。
https://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/052A-Kagoshima.html
なお、当該ページ中の写真・図で当方のロゴの無い元々の大きなサイズのものなどがご必要でしたら別途ご相談ください。
今週のサイトの更新 その2 - 桜と錨
2024/03/10 (Sun) 23:34:27
本家サイトの今週の更新の二つ目として、「現代戦講堂」 の 「資料展示室」 コーナーで既に公開してきております昭和48年度の幹部候補生学校1課程(防大卒)用SG集に、表紙・目次以外は元のディジタル化したままの整形・ゴミ取りをしていないものをPDFファイルとした 「(暫定版)」 を幾つかの課目で追加公開しました。
とてもこれまで通りに整形・ゴミ取りをしたものを作成している余裕がありませんので、“取り敢えず”として公開することに。
大変に見難いものではありますが、それでも読めない程ではない、と・・・・(^_^;
今後手が空きましたら、整形とゴミ取りをして本来あるべき姿にしていきたいとは思っていますが、いつになるか。
定年以来無職の貧乏人で日々の生活に手一杯ですので、どなたかスポンサーになっていただける方はおられませんかねえ。
今週のサイトの更新 その1 - 桜と錨
2024/03/10 (Sun) 23:05:57
本家サイトの今週の更新の一つは、旧海軍が作成したものを海上自衛隊が昭和35年になってそのまま出した 『艦船座礁事件摘録』 のご紹介です。
本史料の元々の旧海軍での作成期日は示されておりませんので不詳で、大正10年に 「三笠」 (戦艦から海防艦に種別変更された直後)が座礁事故を起こしていますので、これを機に海軍部内に対する注意喚起のためのものだったのかもしれませんが、流石に 「三笠」 の例 (名) を出すわけにはいかなかったとも考えられます。
当時の海図や測量などの精度、航海機器の状況を考えると致し方ない面もあるのでしょうが、それにしても多いですね。
昭和35年当時に艦艇長講習参考資料として200部が印刷されたことになっていますが、どこに、どの様に配布し、どの様に活用されたのかは不詳であり、また印刷・配布はこの時の1度だけと思われます。
私は2度艦艇長講習を受講しましたが、本資料については既に全く使われなかったどころか、この様な資料があることさえ出てきませんでした。 現役中にさる所でこれが1冊埋もれたままになっているのを見つけてコピーをとっておきましたが、その他のところでは全く見かけたことも話を聞いたこともありません。
う~ん、これも今となっては海上自衛隊のどこにどれだけ残っているのか・・・・ ?
これまでの海上自衛隊の姿勢からすれば、今後とも自ら公開するとはとても考えられませんので。
約240頁ですのでとても整形・ゴミ取りをする余裕がありませんので、コピをディジタル化した時のままのものをPDFファイルとしたもので良ければ、この方面に関心のある研究者の方にはご要望があればご提供したいと思っています。
まあ、先日の護衛艦 「いなづま」 の座礁事故などは、本史料に出てくる例と比べても大変にお粗末なもので、運航技量ももちろんのこと、艦の危急に際して部下から助言が得られないほどの雰囲気を作るような性格の者が艦長に補職されるのもいかがなものかと。 そして事故調査報告書に名を連ねることになった乗組幹部などは不幸なことで。
戦前写真 - キャプ専クック
2024/03/05 (Tue) 18:36:08
続きです。
看板が「大日本海軍青島方面根據地隊司令部」「第三遣支艦隊軍法會議」などとなっています。
これは組織の改編があった後のようで、調べた限りでは「北支艦隊」から「第三遣支艦隊」に変わったのは昭和14年11月15日だとか。
写真もその頃のものですかね。(今回は冬服になってます)
Re: 戦前写真 - 桜と錨
2024/03/05 (Tue) 19:48:32
キャプ専クックさん、ご紹介ありがとうございます。
いや〜、これは貴重ですねえ。 軍人の制服での記念写真はそれこそ沢山ありますが、法務官などのものは珍しいですし、しかも同じ場所での別時期のものは。
戦前写真 - キャプ専クック
2024/03/05 (Tue) 18:14:37
桜と錨さん こん××は
この写真はよくある集合写真ですが、写っている人物ではなく背後に掲げてある組織名の看板(?)に興味が・・・。
ここでは「青島海軍根據地隊司令部」と「北支艦隊軍法會議」などとあります。
そして同じ建物の前で別の集合写真があるので次回にそれを載せます。
20数年ぶり・・・ - 脇
2024/03/02 (Sat) 10:00:26
こんにちは
江田島市広報3月号よりスクリーンショット ・・・(*^_^*)です。
Re: 20数年ぶり・・・ - 桜と錨
2024/03/04 (Mon) 16:25:19
脇さん、こん**は。
US-2、牡蠣筏が余りにも多い江田内で離着水できるんでしょうかねえ?
サイトの更新 - 桜と錨
2024/03/04 (Mon) 23:59:32
家籠りですが、何か気忙しく毎日がバタバタしております。
そして昨日は桃の節句で千福の熱燗をグビグビやって早々に酔ってしまい、本家サイトの定期更新についてすっかり忘れてしまいましたので本日ご紹介を。
昭和41年に海上自衛隊が出した『日本海軍潜水艦事故摘録』のご紹介です。
旧海軍では戦闘に伴う戦没や損傷以外に、衝突や座礁などにより多数の潜水艦の事故を起こしております。 有名な明治43年の第6潜水艇の沈没に始まり昭和16年の伊66潜の損傷に至るまでの概要を、昭和41年になって海上自衛隊が残された旧海軍の史料に基づき事故態様別に約370ページに纏めたものです。
作成・発行は当時の第1潜水隊群で、群司令はかの有名な海兵63期の筑土龍男氏でした。 本史料の作成・発行については当筑土氏本人の強い意向によるものと考えられます。
私の現役中、たまたま某所に眠ったままになっていたものを見つけてコピーをとりましたが、この一つだけで他のものは見たことがありませんでしたし、またこの様なものがあることさえも聞いたことがありませんでした。
う~ん、これも今となっては海上自衛隊のどこにどれだけ残っているのか ・・・・ ?
なお、大変にページ数が多いためとても整形・ゴミ取りをする余裕がありませんので、ディジタル化した時のままのものをPDFファイルとしたもので良ければ、この方面に関心のある研究者の方にはご要望があればご提供したいと思っています。
なお、facebook の某所で大正13年に佐世保港外で演習中に軽巡「龍田」と衝突して沈没した第43潜水艦の話題が出ましたので、本史料の中からその事故の概要(5頁)について抜き出して整形・ゴミ取りをしたものをFPDファイルにして参考提示しましたので、このPDFファイルについても今回一緒に公開いたしました。
それにしても、ご来訪80万名達成感謝記念企画の第2段に予定しておりますものは遅々として進んでおりません。 この第2段を項目分けして、出来た順に公開することも考えても良いかと。
なにしろ、やりたいこと、やらなければならないことは大変沢山ありますので ・・・・
2024/03/02 (Sat) 21:07:58
こんな犬のところに小春ちゃん持参しても追いかけられそうで実家で居候しそうな?時代が違ってた地方総監の陽の当たる公室で「ミヤァ~」と啼いてかと、どうせ副官さんがお世話でしょうけど総監が「ねこじゃらし」持つ姿を見たいと、先月揚陸艦「アメリカ」が昨年に続いて大阪湾入港でした。でもF35Bは今年積んでないので行くのは却下。USJ楽しみたいとは艦長の弁。もはやアニメのテーマパークみたいな所になったけどそれがいいのかな?
Re: デコピン - 桜と錨
2024/03/04 (Mon) 16:21:16
JANET さん、こん**は。
私はどうもこういう席は好きになれないもので ・・・・
米海軍は派遣が長いので色々楽しみたいのでしょうね。
昔SQTで西海岸に行ったとき、ある日デズニーランドを一晩借り切って「ネービー・ナイト」がありました。確か一人10ドルだったかと。流石は米海軍と思いましたね。
トルコ海軍の… - 劔
2024/02/20 (Tue) 21:25:47
こんにちは。
ブログでのトルコ海軍の揚陸艦「アナドル」の記事を先程拝読いたしました。そういえば2番艦の話聞かないなぁと思って調べていたのですが、先日トルコ海軍の将来の空母についての記事を発見しました。(ご存じであればご容赦ください)
ttps://www.navalnews.com/naval-news/2024/02/our-first-look-at-the-turkish-navys-future-aircraft-carrier/
もしかして2番艦よりこっちに注力するのかなと思いました。
Re: トルコ海軍の… - 桜と錨
2024/03/04 (Mon) 16:13:06
劔さん
トルコを取り巻く政治情勢を含めた地政学上からすると、ボスポラス海峡の問題も含め、黒海側と多島海側にそれぞれ常時1隻を配備したいところでしょうが、偏に国防費の制約ですね。
今週のサイトの更新 - 桜と錨
2024/02/12 (Mon) 00:49:14
「阪神・淡路大震災に伴う災害派遣詳報」 全文公開 !
今週のサイトの更新は、ご来訪80万名達成を記念して、その感謝企画第1段の平成7年に呉地方総監が出した 「阪神・淡路大震災に伴う災害派遣詳報」(呉監防3第872号別冊)の全文を公開しました。
https://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/Shiryo/22_Hanshin-Awaji_JMSDF_Detail-Rep_H07.html
この阪神・淡路大震災に伴う海上自衛隊の災害派遣の具体的な詳細については、いまだに海上自衛隊、と言うよりは海上幕僚監部からは、本文書も含めて何ら公開されたものはなく、ただ 「海上自衛隊50年史」 の中で僅かに災害派遣を行ったことが簡単に記されているだけです。
https://navgunschl.sakura.ne.jp/omoi/hanshin-awaji/50yr_06_04_03.html
国民の生命、財産を守るために国民の税金を使っているにも関わらず、あの阪神・淡路大震災に伴う災害派遣で海上自衛隊は何をしたのかについてその詳細を全く説明してきておりません。 その説明責任を認識せず、かつ義務を放置してきたと言えるでしょう。
そして、海上幕僚監部の体質、その“制服を着た能吏”たる業務遂行ぶりからすると、今後ともこれが改善され、本文書に述べられたような具体的かつ詳細なものが公開されるとはとても考えられません。
私は1月17日の発災後から海上幕僚監部に転出する3月23日まで呉地方総監部防衛部第3幕僚室長として、そして呉地方総監加藤武彦海将を指揮官とする海上自衛隊災害派遣部隊司令部作戦幕僚として勤務しました。 派遣部隊司令部が呉地方総監部に戻った後に一人阪神基地隊に残った私が神戸市長からの神戸市に対する大規模給水支援の終了証明を持って阪神基地隊から呉地方総監部に戻った私を待っていたのが海上幕僚監部への転勤でしたので、転出までの僅かな間に本資料の下書きを書けるだけ書いて置きましたが、ほとんどそれに沿って纏められ、かつ諸データが追加されて立派なものに仕上がっていると思います。
本資料の公開は、当時の海上自衛隊災害派遣部隊の司令部作戦幕僚としてその 災害派遣活動の全容を明らかにするとともに、災害派遣に参加した全隊員に対してその労をねぎらうためのもの です。
そして もう一つは、災害派遣終了後に病死した故中村将君に捧げるためのもの です。 中村君は私と候校同期で、呉監部防衛部第2幕僚室長として1年間一緒に勤務し、そして阪神・淡路大震災に伴う災害派遣では司令部の情報幕僚として大活躍をしてくれました。 それは本資料をお読みいただければ、彼の活躍があってこそ作戦幕僚としての業務が上手く行き、海自災害派遣部隊の活動、特に神戸市に対する給水支援が適切に実施できたと言えます。
しかしながら、彼は災害派遣終了直後に体調を崩して入院し、あっという間に逝去してしまいました。 これが災害派遣での激務によるストレスの積み重ねがその引金となったことは火を見るよりも明らかですが、何故か海上幕僚監部はそれを認めようとしませんでした。 私達からすれば、間違いのない災害派遣の激務に伴う “殉職者” なのですが。
この2つが、今回サイトにおいて私が本文書を公開する目的です。
元資料を 一つのPDF形式にてその全てを公開 いたしますが、残念ながらご存じのとおりのネット事情により印刷及び加工については不可の設定としております。 全文をそのまま公開するのは本来海上幕僚監部の責任でであり国民に対する義務すので、私がそれを肩代わりするつもりはありません。 もし研究者の方で印刷可能バージョンなどのご希望がございましたら掲示板又はメールなどでお聞かせ下されば考慮いたします。
勿論、公開いたしますファイルは、このままの形でしたら再配布などはご自由になされて結構です。
なお、平成12年になって海上幕僚監部の教育課から「参考事例集(第2刊:阪神、淡路大震災特集 『阪神、淡路大震災出動』」なるものが出されましたが、その中の証言者では加藤呉総監、仲摩阪神基地隊司令、それに当の海自災害派遣部隊司令部幕僚長としての川村呉監防衛部長の3者はともかくとして、その他の人選は海幕教育課が適当に選定したものです。
そしてその上で、「指導上のねらい」などと笑止千万、チャンチャラおかしなことを上から目線で述べています。 当時、海幕教育課員などただの一人も現場に来て災害派遣の実態を見てもいないのに、です。
“制服を着た能吏”のやることというのはこんなもの、という典型の一つですね。 口先ばかり立派で点数稼ぎをやる、という。
戦前写真 - キャプ専クック
2024/02/11 (Sun) 15:46:33
桜と錨さん こん××は
前回の関連写真はもう一枚ありまして、やはり裏書の送り主からの説明によると「昭和2年4月7日『天龍』陸戦隊の配備」などと書いてあり、送り主も写っているらしいのですがもちろんどなたかわかりません。
しかしこの写真はすでに緊迫した感じは無く、兵士もみんなカメラ目線なのがちょっと笑えます(^_^;)
それで勝手な想像ですが、これは兵士それぞれの活躍をリアルな写真として故郷などに送らせ、銃後の家族を安心させるためではないかと・・考え過ぎでしょうか。
なお、歳の離れた従兄が戦前の中学の修学旅行で朝鮮や満州を撮影したネガフィルム(当時個人でカメラを持っていたとは!)もかなり残っており、今は失われた風物などは珍しいかもしれません。
ただ、素人写真のうえ保管が悪く写りも今ひとつですが、差し支えなければそれらも時々ご笑覧に供します。
戦前写真 - キャプ専クック
2024/02/08 (Thu) 22:16:56
桜と錨さん こん××は
体調があまり良くないとのことですが、早いご回復を祈っております。
ところで先日、我が家の古い写真のことで価値のあるものは保存公開をと仰っていただいたのですが、残念ながら多くが本人や戦友あるいは所属の集合写真なので価値的に良いものは少ないです。
それにしても昔の人(軍人?)は写真が好きですね。父も初年水兵時代から終戦間際まで欠かさず撮っているようです。
それらの中でこの写真は父の戦友が送ってきたものですが、裏書きの説明によれば「昭和2年4月6日の日本租界の警備状況」となっており、いわゆる「漢口事件」の時と思われます。住宅地の鉄条網がものものしいですね。
Re: 戦前写真 - 桜と錨
2024/02/11 (Sun) 00:45:55
キャプ専クックさん
この写真だけでもいくつも見所がありますね。 ぜひ全部をディジタル化して保管してください。
ご来訪80万名達成! - 桜と錨
2024/02/08 (Thu) 22:11:22
サイトは皆様のおかげを持ちまして、昨晩ご来訪80万名を達成いたしました。
つきましては次のサイトの定期更新で、達成記念の感謝企画として私ならではの公式文書の公開を考えております。
今後とも引き続きよろしくお願いいたします m(_ _)m
ありがとうございました。 - かぎや
2024/01/29 (Mon) 12:40:13
こんにちは。かぎやと申します。
私は駆逐艦早霜の九三式水中聴音機越しに九五式魚雷音等が録音されたレコードを入手しましたが、情報が無く困っていました。
海軍電気技術史 第6部p.38を見て、商船乗組員がレコードを使用していたとあり驚きました。
公開していただきありがとうございました。
Re: ありがとうございました。 - 桜と錨
2024/02/06 (Tue) 22:22:28
HN 「かぎや」 さん、こん**は。
コロナの後遺症というか、いまだに完治せずに参っています。 お返事が遅くなりました。
「海軍電気技術史」 は大変貴重で素晴らしいと思いますので、是非どこかの出版社で全巻の復刻を出して欲しいものですね。
水中音響の実際と言うのは大変に複雑で難しいものですね。水測員による聴音と言うのは、日々の弛まぬ研鑽努力と、本人の持って生まれた音感という資質によります。このため、戦後の海上自衛隊では江田島の少年術科学校で中卒の若い人を採用して鍛えていたのですが ・・・・
AIが発達してきた現在と雖も、まだまだこの人による判別・識別の能力には敵いませんね。 理論と実際とは全く別物と言うことで。
私も若い頃、実際の潜水艦を目標にした対潜訓練で、通信士や船務士で哨戒直の当直以外はUB (ソーナー室) に入り込んでヘッドセットをかぶり当直の水測員達に教えを乞いながらしょっちゅう識別の勉強をしましたが、むつかしいものでした。
海中の音と言うのは大変に賑やかで複雑なものですが、それでも時折聞こえる鯨やイルカの鳴き声、海老の跳ねる音、潮目による攪乱などなど、面白いものがありました。
今週のサイトの更新 - 桜と錨
2024/01/28 (Sun) 16:25:05
今週のサイトの更新は、武漢コロナ陽性後の体調がまだ今一ですのでお休みです。
ノンビリやることにします。
武漢研コロナ - 脇
2024/01/27 (Sat) 09:35:11
お見舞い申し上げます
熱さましにお使いください・・・(^_^;)です。
Re: 武漢研コロナ - 桜と錨
2024/01/27 (Sat) 18:33:09
脇さん、ありがとうございます。 山盛りの薬で熱は数日で戻ったのですが、体が動きません。 歳ですねえ。
でもこんな山の中での家篭りの生活で何でコロナに罹るのかと。
Re: 武漢研コロナ - 脇
2024/01/28 (Sun) 09:06:55
こんにちは
もう4年ですかね?
広島市内には一度も出ておりません。
路面電車のカード、まだ千数百円は残があったと思うんですが、
もう使えないでしょうねぇ~ ・・・(^_^;)です。
今週のサイトの更新 - 桜と錨
2024/01/21 (Sun) 14:30:45
今週のサイトの更新は、武漢コロナ陽性後の体調がまだ今一ですので、「現代戦講堂」の「資料公開室」コーナーで、「対象国艦艇写真集」に残りのものを追加し、手持ちのうちの全99枚の公開が完了しただけです。
手持は全部で100枚なのですが、一枚は同じネガを裏表で焼いた2枚がありましたので鮮明な方をご紹介しております。 99枚のうちカラー版は20枚です。
本家サイトではこの99枚について、一覧用の幅240ピクセルのものと拡大用の幅800ピクセルの中サイズで頁校正したものとしています。 もちろん、当初の暫定頁と同じように、各写真の艦艇の国籍、艦型、艦名や撮影場所・日時などのデータについては省略した形としています。
元画像の個々の写真は、かつて雑誌になどに発表された柴田三雄氏の手になるような極めて鮮明で迫力のあるようなものではありませんが、それでも当時の対象国艦艇の公式写真がこれだけの枚数公開されるのは初めてのことと自負しています。
なお、私の手持ちのものは、原則としてモノクロ版は600dpi、カラー版は3,200dpiでディジタル化してあります。 この元サイズの大きなものでご覧いただくと細部なども遥かに明瞭なのですが ・・・・
当時の対象国艦艇の公式写真は、私の手元にあるのは100枚ですが、当然ながら海上自衛隊が所有したのはこんな枚数ではなくもっと膨大なものであることは申し上げるまでもないことです。 とは言っても、海上自衛隊からこれまでこれらがキチンと整理・管理されて公開されたことはありません。 また、今後も海上自衛隊 (と言うより、海上幕僚監部) の性格・体質からして公開されるとは考えられません。 国の一行政機関としてその公務において収集した “国民の財産” であるにも関わらず。
私がサイトで公開する 「対象国艦艇写真集」 はそれぞれを大きなサイズでご紹介するのがよろしいのでしょうが、それでは本来は海上自衛隊・海上幕僚監部が自らやるべきことであり、その責任と怠慢を横に置くことなりますことをご了承ください。
無題 - 三郎
2024/01/08 (Mon) 09:22:47
「対象国艦艇写真集」
大変懐かしく見ています。
術科競技「艦型識別」、私は「電測員→B→船務幹部」でしたので、最初は、選手の末端、後に選手のリーダーで関わりましたw 佐世保で実施された、「ちくご」型 術科競技「艦型識別」で優勝した時のチームの祝勝会は忘れられません^^
写真を見ると、瞬時に「艦種」「級名」が出るのもありますが、退職して時間が経過してるのと、自身の老齢化により、名前が出てこないのも多々あります。
じっくり思い出していきます。
中には、「北」や「南」wの作業で、対峙した艦船もいて、懐かしいですね。
Re: 無題 - 桜と錨
2024/01/08 (Mon) 22:42:35
三郎さん、こん**は。
ご覧いただきありがとうございます。
そうですか、地方隊ではチームによる術科競技があったんですねえ。
監視行動が多いのでその必要性が高かったんでしょうね。
昔対馬の監視任務に就いた時に出会った艦艇(情報収集艦を含む)も多いので、私としても懐かしいものがあります。
私の手持ちにはカラー版も含めあと40枚ありますので、今後追加公開していきますね。
Re: 無題 - 三郎
2024/01/09 (Tue) 22:05:54
そうですね、地方隊術科競技は、1分隊海士○名、海曹○名 2分隊海士○名、海曹○名、幹部は船務士または通信士 チームは、5,6名でした。(前日に、セシかツシ どっちが出場するか発表されました。)
しかし、(今のC国は知りませんが)当時のソ連海軍と、(監視中にに対峙していると)、緊張感はありましたが、不思議と敵愾心はあんまりなかったですね。
お互い、(国の業務で)フネに乗って大変だよなって感じがしてw
最後は手をふり合ったりもしましたw
Re: 無題 - 桜と錨
2024/01/12 (Fri) 22:55:12
三郎さん
海の上には船乗り共通のロマンがありましたよね。
私も色々ありましたが、そう言うことが感覚的に理解できない官僚や“制服を着た能吏”から度々お小言を。もちろん全て無視。